好きなスポーツは何ですか?と聞かれたとき、皆さんはなんて答えますか?

 

野球?

 

サッカー?

 

ゴルフ?

 

 

僕は…明確にフットボール(サッカー)、ボクシング、テニスと答えます。

そのどれも熱を入れてやったことないスポーツなんですけどね。

 

ちなみにどれもマンガから影響を受けてみてる…気がします。

つまりフットボールは「キャプテン翼」、ボクシングは「あしたのジョー」、テニスは…「エースをねらえ」……。

 

つー事で先週まで、世界的なスポーツの祭典「FIFAワールドカップ」2018ロシア大会がありました。

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盛り上がりましたよねえ…いい意味でも悪い意味でも。

 

 

ちなみに僕がW杯も観始めたのはそんなに古くなくて、1990イタリア大会から。
当時は全く熱狂的でもなく知識もなく、試合自体も数試合しか観ていない、にわかとも言えないレベルでした。

 

 

断片的に思い出すのは、イングランド代表のデヴィッド・プラットのビューティフル・ボレーとか、イタリア代表のロベルト・バッジョによるスラロームドリブルからのゴールとか、アルゼンチン代表のマラドーナが魅せた、対ブラジル代表戦での決勝点に導くスルーパスとか、期待されたオランダ・トリオ(ファン・バステン、フリット、ライカールト)擁するオランダ代表がイマイチだったとか…まだまだ沢山あるのですが、妙に点が入らなかったW杯としても知られております。

ちなみに優勝は西ドイツ(懐かしい響き)でした。

 

1990年と言えば、当時(まだ)インテレクチュアル・スラッシュ・メタルを標榜していた、MEGADETHの傑作アルバム「Rust In Peace」が発表された年でもあります。

この楽曲はそのアルバムのポールポジション。今聴いてもクール過ぎるリフ、複雑な展開、知的な歌詞など、例え歌声がドナルドダック風でも、もう気持ちが燃え上がる事請け合いのメタル・アンセムですね。

 

 

 

 

話は戻って…本格的に見始めたのは、1994アメリカ大会…日本が“ドーハの悲劇”で出れなかったあの大会です。

この大会の2大ヒーロー、ブラジル代表のロマーリオとイタリア代表のロベルト・バッジョが活躍しましたね。

今でも覚えている決勝戦。学校に行かなければならない中、イタリア対ブラジルは延長戦~PK戦となり、出発時間ギリギリ…最後にバッジョが外した瞬間に、TV中継の「外した~~~~」の叫び声を聞きつつ、バス停に向けて走ったことを。

腰に手をあて、俯くバッジョの姿は、本意ではないでしょうが名場面とも言えるでしょうね…。

後にバッジョは言っています。

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」と。

この大会は親しい友人達とも、よく夜中に見ていたものです…ゲームしながら(笑)

 

さ、1994年はヘヴィ・メタルの歴史上でも画期的な出来事が。

PANTERAのアルバム「Far Beyond Drivin」が米ビルボードで堂々の1位になったのです!
このサウンドがビルボードで1位なんて、吃驚です。
今じゃ考えられない。

いつかは、またこういうHR/HMがメインストリームで売れたらいいな!
ま、売れても売れなくても応援するのが、メタル・ヘッドの忠誠心ではありますが。

 

 

 

 

そしていよいよ、日本代表も初参戦の1998フランス大会です。

当時は馬鹿な欧米かぶれフットボールファンだった僕は、日本代表が出るって時でも結構クールに対応しており、まあ出ても全敗だよ…盛り上がっちゃって残念だねえ…とかニヒルになっていたもんです…認めたくないものだな、若さゆえの過ちとは(©シャア)。

そんな中でもこのフランス大会、一押しだったのが、今をときめくクロアチア代表!

初出場だったのですが、ダヴォル・スーケル、ズヴォニミール・ボバン、ロベルト・プロシネツキ…錚々たる旧ユーゴの名手が揃っており、リアルな政治的な部分も含めて何かロマンを感じさせましたね。個人的には当時イタリアで活躍していたアレン・ボクシッチが故障で出れなかったのは残念でした。

日本代表は結果3戦全敗に終わってしまいましたが、歴史的な大会だったとと言えるでしょう。

決勝はブラジル代表とフランス代表でしたが、ジダンのヘッド2得点などもあり、地元フランスが初優勝しました。ここから2002年W杯まではフランス代表の黄金期が続き、次から次へと実力者が登場して来ましたね…いやあゴージャスな時代だったなあ。

この時も友人達の日々サッカーゲームに勤しみながら、ほぼ全試合観ていたのではないでしょうか。

 

1998年、僕の中で一つのバンドにハマりまくっていた時期でした。
スウェーデンのARCH ENEMYです。

98年は2ndの「Stigmata」アルバム発表の年で、本人たちは多少不満残る作品だったらしいですが、この当時のブルータルな楽曲の中に唐突に美しいギターソロをぶち込んでくるという、コントラストが際立つ楽曲展開は、手練れになって半ば落ち着いてしまった(今はより普遍的な雰囲気も出し、あらゆる意味でクオリティは高いのですが)今の彼等にはないスリリングさがありますね。

 

 

 

 

そんなW杯ですが、日本で観る事が出来る時代が遂に来ました。

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2002日韓大会…史上初の2ヵ国合同開催でしたね。これは…いちフットボール・ファンとして、尋常ではない興奮状態だったと記憶しています。

チケットも、大分でのイタリア代表VSメキシコ代表戦、チュニジア代表VSベルギー代表戦の2試合が取れたので、観に行ったなあ…懐かしい!バスの中でのメキシコ・サポーターのイタリアのDisりチャントが面白かったです(笑)

やはり地元で行われる大会って、熱が半端ない。

 

もう二度と見られないかも知れないので、ファンとしては永遠に思いで深い大会だと言えます。
それと…誤審問題でモヤモヤが残った嫌な一面もありましたね。

しかしブラジル代表の3Rは豪華過ぎるな…。

 

ちなみに当時のANTHEMを作っていたのはギリシャの作曲家Vangelis…そう、「ブレードランナー」「炎のランナー」「南極物語」とかで知られるシンセサイザーの巨匠です。

…って今知りましたけど(笑)

 

ただ2002年と言うと、僕は29歳…その後に待ち受ける蹉跌の時代がヒタヒタと忍び寄ってきていた時期と言えます。この時はあまり考えてもいなかったですが…人間、どん底に落ちる問は一瞬です。

そうならない為にも、今を一生懸命生きていく事が大事だと言えましょう。

 

 

 

 

さて。2006年はドイツ大会。

…この大会は、もう決勝の「これ」に尽きる。

見た時はマジで唖然としました。

この大会を代表引退としていたので、とても残念でしたね。

 

それでも希代の天才の残した数々の天才的プレーは永遠に語り継がれる事でしょう。

いや~凄い。
エレガント。
うまい!

このボールタッチを見てるだけで、酒が飲めるぜ。

ちなみにこの大会の優勝国はイタリア。わが日本は…残念極まりないGL敗退でした。

しかし、ちょっと前な気がするこのドイツ大会でも12年前…時の流れの速さに身震いするほどですね。

 

2006年は再生への足掛かり…家族、親友達の支えが無ければ、今ここでこの駄文を書いている事もなかったでしょう…本当にありがたい話です。

僕はこの時期凄くクラシックにハマっていた時期でした。暗黒期は音楽を聴く余裕も聴く気も無かったですが、ある程度立ち直りかけていた時に、僕の心を癒していたのはクラシックだったのでした。

先ず音源が非常に安価であることもあり(過去の遺産に関しては)、その情報量とメロディが心の琴線を掻き鳴らしていたのでしょうね。

そこまで好んで聴いていなかったベートーヴェンが、こんなに素晴らしいのか!と感動したのもこの時でしたね。

大好きなベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番…現代の巨匠マウリツィオ・ポリーニ氏の演奏があったので貼っておきます。

 

 

 

なんか、ダラダラと書き連ねておりますが…。

そんなこんなで、W杯っていうのは、4年に一度の大事なお祭りのようなもの。

今大会はバタバタしていて、今までで一番大会前に気分が盛り上がらなかったのですが、始まってみると、やはり観ますよねえ。
日に3回あるGLはショートスリーパー状態で観てました。

僕は、フットボールは録画すると90分間ちゃんと見れない質なので、出来るだけライヴで観る様にしています。眠いけど仕方ない!

 

そんな今年のロシア大会、日本代表の戦い振りには最終的には感動させて頂きました。

結果的には1勝しかしていないとはいえ、ピッチでの戦い振り、姿勢、闘志、技術こそ、僕がフットボールを観る上で大事にしているもの…そこをGLの1,2戦とベルギー戦では見せてもらいました。

こんなカタルシスを感じた日本代表戦というのも、日韓大会以来だったともいえます。

残念ながら西野監督は退任しましたが、次の監督には、日本代表をさらに上のレベルに連れて行って欲しいですね。

目標を明確に持ち、その為に頭も体も使いながら工夫と努力を重ね、最後まで諦めずに戦い続ければ、きっと夢は叶うんだと思います。

そんな力と勇気を与えて貰った気がします…。

 

最後にいつも悩んでいる時に聴いてしまう一曲をピックアップします。

それではまたー

 

 

 

営業部の宮川でした!